ゆでる心、焼く気持ち。

雑記ブログです、日々思った事や感じたことをありのままに書きます

誰かの答えばかりを鵜呑みにする人を見て改めて思ったこと(6年前の記事)

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世の中には沢山の答えが
ありふれている。
インターネットを開けば
情報の網に数百年前の哲学者が
一生を考えてたどり着いた答えや
はたまた、どこかの評論家や
カリスマ有名人の答え。

そんな答えの網に
まんまと引っかかり、
誰かの答えをコピペして
意気揚々とオモチャのロボットの
ような声をだし、ピピピ
ガーガーガーと喋る会話の中に
一体どれだけ血の通った人の声を
聞く事ができるだろう。

自分の頭で考えず、
どこかで得た答えを丸呑みして
息を詰まらせ、情報の網に
体を絡ませながらやっとで
息をしている。

息苦しいと感じる。

この時代に大切なことは、
どれだけ情報を絞るか。
どれだけ空白と向き合うか
だと思う。

情報はきょくりょく遮断して、
削っていく。削りに削る。
その後で、それでもなお
白く輝く何か。

それこそが、
“私”というものじゃないか。

誰かが金儲けのために
作り上げた幸せのテンプレが
固定観念となって、
その誰かが作った幸せに
沿っていない自分を責め、
自分の頭で何も考えず、
誰かの答えをコピペして
生きている。

そんな瞬間に息苦しさを感じる。
誰かの考えで頭を満たして、
生きるのであれば、
あなたは一体だれなのだろうか。

答えよりも、
問いかけの方が
私は好きだな。

正解なんて
無いのだけれど。