ゆでる心、焼く気持ち。

雑記ブログです、日々思った事や感じたことをありのままに書きます

ルーティン上にあるサービスに思いやりなんて求めていない件

 

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私達はとても忙しい。
社会という見えざる大きな黒い手によって
引っくり返された人生の砂時計は、
水を飲もうと蛇口をひねった瞬間に
水の代わりに大量の砂を放出し、
その砂を片付ける後処理をしている間に、
あっという間に「私」の残り時間は減っていく。

そう、私達には余裕というお金よりも大事な、
「心の余裕」というものが無いのだ。

その状況で、「おもてなし」という、一見、
善意に見えるそれらのサービスを
受けるにあたって、サラリーマンというものは、
心が少しでも満たされるか?と言われれば、
その逆で、その「おもてなし」によって、
MP(心の余裕)はガンガンに減っていくのだ。

私が言いたいのが、我々は毎日、日常のルーティン上に
あるサービスに「おもてなし」を求めているのか?という事。


NOの人が圧倒的に多いのでは無いか?


例えば、あなたが駅のトイレに入る際に、
そこのトイレにスーツをビシッと決め、
白い手袋を付けたサービスマンが立っていて、
トイレのドアを開けようとすると、
手慣れた手つきでドアを開け、

「さぁ、どうぞ」と促してくる。

もし、そんなサービスをする
駅のトイレがあったのなら、
きっと多くの人はこの「おもてなし」、

クシャクシャに丸めた紙くずみたいな顔して
「「うわぁーめんどくせぇートイレにサービスマン要らないからw」」
とかしゃがれ声で言ってやりたい気持ちにならないだろうか。


これ、何が言いたいかと言うと、
仕事帰りにフラッと立ち寄れる
近所の飯屋に求めているものは、
接客では無く、すぐに飯が出てくる事。

利用する理由は、美味しいからとか、
もうどうでもよくて、

ササッと飯を食べられれば良い。

それ以上でも、それ以下でも無いわけである。

近くてすぐにお腹が満たされるから、行く。
以上。

家までの道のりである程度、飯屋の選択肢がある場合は、
美味しさも選ぶ理由になるのかもしれない。

けど、けどね。

・この時間でもやっている。
・すばやく飯が出て来る
・安い

それ以上でも、それ以下でも無いんだよなぁ。
せいぜい日常のルーティンにあるものに求めているものは、
このぐらいかと思う。

きっと他に選択肢があれば、すぐにそこに行く。

だから、常連だと思って、好かれているのだと思って
なんか知らないけど、めっちゃ話しかけてくる店は、
すぐに行きたくなくなる。

まぁ、あくまでも一個人としての
主観なのには変わりないけどさ笑

ただ、この視点、今の現代社会では多くの人に当てはまる。
と勝手に思っている。

以前、近所の飯屋で勘違いした店員が

「休日何してたんですか?」
「今日もありがとうございます!今日は休みですか?」

みたいな事話しかけてきやがる。
やめてくれ、私はゆっくりとMPを回復するために
すばやくご飯を食べて、ササッと家に帰って作業をするために
今ここに来ている。

君と会話しに来た訳でも、友達になりたい訳でもない。

っと思ってしまう笑

もちろん、私もね、
日常のルーティン上では無く、普通に余裕のあるときに
サービスを利用する分には、「わざわざありがとう、いい店員さんだなぁ」
と思ったりする普通の感覚はあるし、
思いやりやおもてなしが不要だとは思わない。

ただ、飲食店員よ!!!!
常連客で目を合わせようとしない人がいたら、
しゃべらないでくれって事なんや!!!

ソッとしておいてくれwwww
ってだけが言いたかったのでした。

それじゃ、また!